チョコレートを贈るバレンタインデーの裏背景にある由来とは!

バレンタインデーにチョコレートを贈り愛を告白、女性にとって特別な日でもあるバレンタインデーの由来とは、ローマ帝国の時代(日本で言えば邪馬台国、弥生時代後半)ときの皇帝クラウディウスは軍人の育成のため結婚を禁止、この政策に抵抗したキリスト教司祭ウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させ、捕らえられ、2月14日処刑。以来、愛の守護神としてバレンタインデーに発展していったという説が一番有力視されている。キリスト教には謎が多い。謎といえばこれに関連して映画「ダビンチコード」がある。レオナルドダビンチの描いた最後の晩餐には暗号が隠され、その暗号とは聖杯、すなわちマグダラのマリアのことであり、キリストが十字架にかけられた時、マグダラのマリアは妊娠していたという。そのキリストの血脈を世界最古の秘密結社シオン修道会が守護し、そのシオン修道会の歴代総長がレオナルドダビンチであり、アイザックニュートンもその一人とされ、キリスト教を根本から覆しかねないその秘密を教会は抹殺しようと世界最大の隠ぺい工作をしてきた罪を暴こうとする話であるが、むろん教会側は作り話として否定している。

ニケーヤ公会議に隠された秘密とは

ダビンチコードの映画の1シーンの中に、リー・ティービング卿がロバート・ラングドンと口論するシーンがある。「聖書は天国からFAXで送られて来たのではない、聖書を1つにまとめたのは絶対の権力を持つ神官皇帝コンスタンティヌス1世である」と。当時ローマはキリスト教と異教徒で宗教紛争が絶えず国が二分しかけていた。皇帝コンスタンティヌスはそれを統一しようと国の唯一の宗教をキリスト教と公認した。キリスト教を新たに確立しようと325年歴史上最初の全教会大規模のニケーヤ公会議を開いたとする。それは、どの福音書を聖書に採択し、どれを破棄するか、復活祭の日や日付、秘蹟の儀式をどうするかなどがここで決められたと言う。「イエスを神とするかどうかも。」人間だったイエスはある日神になったと。しかしこれはあくまで仮説にすぎず、歴史的事実として認められていない。だが皇帝コンスタンティヌスにより、公会議(教義の決定や教会法の制定などのために議論を行う教会の最高会議)が開かれたのは事実であり、注目すべき点は325年ニケーヤ公会議から1962〜1965年の第2バチカン公会議まで21回も行われていることである。

キリスト教司祭ウァレンティヌス(バレンタイン)が聖人でないという理由

映画ダビンチコードをなぞらえて何が言いたいのかと言うと、教会は325年ニケーヤ公会議から1962〜1965年の第2バチカン公会議まで21回もの長きにわたり何を議論し続けてきたのだろうか?「ウァレンティヌス」とフリー百科事典で調べれば、ウァレンティヌス(Valentinus, ? - 269年2月14日?)、あるいはヴァレンタイン (Valentine) は、3世紀頃のキリスト教の聖職者であるとしながら、 1969年までカトリック教会において2月14日を殉教の日としていたこの(元)聖人?の実像ははっきりしないと。 カトリック百科事典によれば、3人の像が重なっていると見られている。また第2バチカン公会議後1969年の典礼改革で、史実上の実在が明らかでない聖人たちは整理され、現在カトリックの聖人暦に彼の日(St.Valentine's Day)は無いのである。ウァレンティヌスは実在した人物でないのだろうか?聖人暦(せいじんれき)とは、キリスト教で、各々の日付に特定の聖人を関連付けた伝統的なカレンダーのこと。聖人暦はやがてキリスト教の主要な祝い日と連動していくわけだが、「聖者の一覧」キリスト教における著名な聖人の一覧の中にバレンティヌスの名は無いのは事実である。

Copyright © 2007 バレンタインデーの由来元ウァレンティヌスは聖人でなかった!?